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Why do we need volunteers now?
Vol.4「ボランティアの“主”効能」

さあ、それではボランティアの持つ「利益」とは何であろうか。いくつか大雑把に挙げてみると、余暇の充実、社会経験や興味のある分野に触れる機会を得る、人間関係の充実といったことがあろう。

まず「余暇の充実」というのは、文字通り、普段の生活で時間にゆとりのある人が行うものである。仕事をリタイアした人の場合、それはリタイアするまでに得たスキルを発揮するものであったり、逆にそれまで出来なかったことをするものであったり、色々なパターンがあるだろうが、この時ボランティアは自己表現の場としてその「効能」を表す。
ただ、これは「余暇」のあることが前提であるから、そもそもそれほどの時間がない人にとっては魅力的とはいえない。
では、「社会経験」の場としてのボランティアはどうだろうか。ボランティアというのは賃金の発生する仕事と違って、受入側の採用の門戸がかなり広い。たいてい誠意を持ってやってくれれば、という程度の条件で受け入れてくれる。一口にボランティアといってもその内容は様々であるから、その選択次第で参加したボランティアごとの特徴に応じた経験が出来る。就職したり専門的な教育を受けなければ触れる機会の少ないことが出来ることもある。ボランティアは、手軽に、しかし貴重な社会経験を得るツールでもあるのである。
例えば私の場合、この『季刊ボランティアきょうと』の作成がボランティアの世界への入口だったのだが、そのうち誘われて身体障害者の方の介助のボランティアに誘われ、それに参加することになった。普通の生活では、車いすの方の介助をするような機会は家族など近しい人にそういう人がいない限りそうそうあるものではない。私の場合、単に車いすを押すこともほとんど初めてだった。それがそのようなボランティアとして活動することによって、様々な介助の経験をし、技術を学ぶことが出来たのである。しかも今年になって支援費制度(身体・知的障害者対象の費用助成制度)が導入されたが、ヘルパーの資格がなくても支援費の支給対象となる介助をする資格(限定はついているけれど)も得ることが出来た。一方、世の中には高いお金を払ってヘルパーの講習を受けたりして初めて介助の技術を学ぶ人も少なくないだろう。そういったことを考えれば、単純にボランティアは“オトク”である(もちろんヘルパーの仕事をしていくに当たっては、理論と実践の両方を学べる講習を受けた方が良いだろうが)。このように資格にまでつながるものは稀だろうが、就職に向けて経験を積む場としても有用だろう。多種多様なボランティアに多種多様な経験をするチャンスが埋もれているのは確かである。
同様にボランティアは「興味のある分野」に触れる機会を提供してくれることがある。私の場合も、編集というのは実はアルバイトでもやっていることで、地味ながら好きな作業なので、ボランティアでもやってみようと思い参加したのである(編集やデザインやってみたいという方大募集中!! as 季刊ボランティアスタッフ)。

なお、よく「地域社会への貢献」みたいなことも言われる。これは「地域」という、ある意味で個人より上の次元の言葉を使った表現である。しかし地域社会を通じて自分にも役に立つという意味で使っているなら良いのだが、どうも自分のためというのはやらしいから「地域」という概念を用いてごまかしていることも多いように思う。そのような場合、ボランティアはそれこそ偽善に陥る危険が高くなるだろう。

効能の“主”と“従”

以上に挙げたような「効能」はボランティアをすることから直接得られるもので、いわばボランティアの“主”効能である。それに対して、人間関係などはボランティア活動から直接得られるものとはいえないが、それを通じて得られるもの、いわば“従”たる効能である(必ずしも両者は区別できないだろうが)。
次回はそんな“従”の効能に注目してみたい。

(Y・H)

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