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Why do we need volunteers now?
Vol.7「国際協調主義とボランティア」

しばらく憲法に挙げられている基本的人権シリーズで行く予定だったが、このところイラクにおける日本人がらみの事件が巷を賑わしているので、今回はこれらの事件と憲法の関係の深い条文とつなげて展開してみたい。

日本国憲法 前文3項
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

98条2項
日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

この憲法前文3項は国際協調主義を示したもの、そして98条2項の定める国際法規遵守義務は国際協調主義の具体化といわれている。
国際協調主義は、国家の独善を許さず、世界規模での調和的発展を企図するものといえよう。そして現実にも種々の条約などにより、国際的な人権保障、経済発展が図られている。ODA(政府開発援助)などの経済支援や、イラク戦後の自衛隊派遣もその一環といえる(もちろん平和主義との関連が大きな問題であるが)。
移動・情報手段が発達し、国際的な交流がますます盛んになっている現代において、国際協調の必要性は憲法制定当時よりもさらに高まっているといってよい。

国家とNPO・NGO

先のイラク日本人人質事件で人質となった一人、高遠菜穂子さんがNPO(非営利組織)のメンバーで、ボランティアとしてイラクの子供たちの援助に行ったことは多くの方が覚えておられることと思う。

現実に、NPOやNGO(非政府組織)は国境を越えて活躍し、国家では果たしがたい重要な機能を担っているといわれる。そしてこれらの活動には多くのボランティアが関わっていると思われる。
では、このような活動に携わるボランティアについてどうの評価が妥当であろうか。そして国はどのような対応を採るべきか。
この点、危険地域におけるボランティア活動も倫理的、人道的には望ましいし、表現の自由の一環として活動そのものは保障されるべきであるとしても、ボランティアは自発的な活動にすぎない。そしてそうである以上、それによる危険は自ら引き受けるべきとも考えられる。このような考え方からすれば、国としてはその活動を積極的に援助する義務もなく、また具体的に発生した危険についてもこれを国の負担で除去する義務を負わない、すなわちいわゆる「自己責任」論が妥当することになりそうである。
しかし、国際協調主義の趣旨からすれば、国は条約などの国レベルの協調のみならず、個々の住民に対しても、人道その他の観点から支援が必要である場合、自国民でなくとも支援すべきといえる(もちろん自国民を差し置いても、ということではないが)。ところが、実際に国は機動性や外交上の理由により、そのような住民レベルに対する支援は必ずしも十分に行うことはできない。そこを機動的に、国境を越えて活動できるNPOなどが補っているのである。
とすれば、国は、国に代わって支援の役割を担うNPOなどに対してはむしろ積極的に支援すべきであり、これを支えるボランティアの重要性は極めて高いといえるであろう。「自己責任」などといって切り捨てるなどというのは論外である。「自己責任」というのであれば、アメリカを支持してイラクを現在の混迷に導いた責任を政府自らが取るべきなのであって、その尻拭いをしてくれているNPOなどに対しては、より積極的に援助して当然である。そしてその活動により生命・身体等の危険が発生したとしても、それが合理的な範囲であればその危険を国が負担するのもまた当然であろう。

ボランティア活動は、自発的になされるものであり、一般に高い活動意欲が期待できる。戦後イラク復興問題のように、国による活動が不十分な分野において、重要な目的に関わり、客観的にその活動の効果が期待できる能力を有する団体などに対して、これを積極的に支援する立法の早期実現・充実が望まれる。憲法の趣旨を実現し、そこに参加したいという人々の意志を生かすために。

(Y・H)

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